公式line@aimable始めました。

友だち追加

2013年5月3日金曜日

aimable aime の 安さの秘密。


こと在る毎に色々な方に
「こんなに安くて大丈夫なの?」
「こんな価格で元取れるの?」
「商売成り立ってるの?」
などと疑問を投げかけられたりご指摘を受けます。

答えは全てに「いいえ。」です。

良い訳無いです。
商売になんかなりません。
自分でも馬鹿ではないかと思います。

では、なぜそうするのか?
答えは簡単です。

暗い世の中で少しでも、
今より明るい未来を見たいからです。

それが、自分本位か否かの違いだけです。

己が属する業界や地域、そして生活レベルや階層、
その他諸々の柵や視野に入るもの、
センサーの感知し得る中において関わる、
全ての人の中にあって、
今の自分がどうすることによって、
今後がどうなっていくのかを予測する対象が、

まず自分。

ではなく、

周りの色々な事柄や関わる人達によって、
生かされている実感の下にある自分。

になっているだけの話です。

お客様商売をしていく上での基本は、
お客様の利益追求に尽きると思っています。

簡単に言えば、
自分の職業や仕事場を外から見れば良いと思うのです。

どう見られているのだろう。
どう見られたいのだろう。
に始まり

魅力的だろうか?
その魅力は何か?何に起因しているのだろうか?

仕事場の色々なことに言い訳をしていないか?
言い訳を作ろうときっかけを探していないか?

「理想と現実。」と言う事場を盾に逃げ道を探していないか?

数え上げればキリがありません。
しかし、
思いつかなくなる程までに向き合い続ける事こそが、
お客様商売の辛さや難しさであり、楽しさであると思うわけです。

その努力もしないで仕事をしていれば、
人のお庭が青く見えてしまう、
ミラクル眼鏡を手に入れてしまうわけです。
いまなら、ご購入特典で思った事を変換してくれる、
僻み翻訳アプリも無料ダウンロードできますよ。

どした、藤倉。

話を元に戻しましょう。

自分の先だけを見れば道は細く暗くなりがちです。
しかし、
自分の後ろを見る余裕があればこそ、
その道すがらに立ち寄った場所や出来事が見えてきます。
そして、その全てに関わった人が見えてきます。

そのすべてを思い巡らすとき色々な感情が生まれて来ます。
喜び、悲しみ、怒り、感謝。

そのすべてが今の自分や、今の自分の立場を作り上げてきたとすれば、
その事実を素直に認めることが出来れば、
その後に浮かんでくる感情は「情けなさ。」
もしくは、
もっとうまく出来たのではないかという「後悔。」や「疑念。」
ではないでしょうか?

では、
その後に何が出来るかを思ったときに指針となるのは「人。」
であることは明らかです。

簡単に言えば「恩返し。」
を基準に進んでいけばいいのだと思っています。

生きていくうえで人と関わっていかなければならないのは、
誰もが知っている事実です。

お客様商売をしていく上で大切なのはお客様である事実は変わりません。
とある商売の神様はかく語りました。

「お客様は神様です。」

不景気が叫ばれる昨今、
この言葉は単なる「商売人の心意気。」
ではなく、
紛れもない事実になりました。

なぜならば、

その昔の市場は戦後騒乱期を例に挙げれば解る様に、
物不足の時代です。
その頃の神様は「作り手」であり「メーカー」です。
市場における価値や基準を決めていたのは供給する側でした。
モノが無いのですから、作り出す人が偉かったわけです。。
供給側が「この手間はこの金額!」
と言い切ればその値段で売り買いするしかなかったわけです。

その後、高度経済成長期に入ると神は更に人に近づきます。
モノが溢れ世の中も好景気に向けて加速していくと、
「売り手」が神になります。
あの手この手で、
お客様の購買心を煽り、買う楽しみ、所有する喜び、
新しいものを手に入れる優越感を、
お客様の心理に植え付け、また摺り込みます。
その為に流通は進化し広告は派手さを増しました。

そして、バブル期が終わりを告げ、
現在の不景気時代の到来です。
お客様も広告やインターネットで最安値を探し、
簡単に便利に欲しい物を手に入れることが可能な時代になります。
ご存知の方も多いと思いますが、
定価という表記が少なくなり「オープン価格」などという、
意味不明な表現が多用されています。
今やモノの価値を決める権利が「作り手」・「売り手」には無いわけです。
すでに「神」では無いので価値を決めることが許されないのです。
商売人の心意気はもはや存在を変えて、
現実を表す言葉になってしまいました。

「オキャクサマ ハ カミサマ デス。」

この事実を認めればこそ、
道は簡単に開けます。

ギリシャ神話のごとく、八百万の神のごとく、
皆が神になればいいわけです。

そうすれば、「神」などという概念は消え去り公平になります。

つまるところ、皆ができる事を行い自然に真っ当に生きればいいのだと思います。

「作り手」は思う価値を、自信を持って掲げるに値するたゆまぬ努力を続け。
「売り手」は知識とプライドを軸に適正な価格を流通を意識して商売を行い。
「買い手」はその全てに納得できるものにだけ対価を支払えばよいのです。

ほらみんな

「神です。」

では、「作り手」と「売り手」を兼任する「美容師」のような職業はどうするのか?
たゆまぬ努力を続け、
美容馬鹿になることなく知識とプライドを磨き続け、
適正な価格を掲げればいいと思うのです。

暇になってしまうとすれば、
それは技術にとどまることなく、接客・接遇を含む、
己の腕や思いへのおごりが引き起こした当然の結果であることを、
真摯に認め、向き合い、そして改善すれば良いだけです。
簡単に言えば、
お客様が価値を見出すに至る仕事ではなかった。
という

だけ

のことです。

なぜ、
「だけ」
なのか。

簡単です。
誰かが歌っていたように
「触らなくっても神は祟っちゃう」
のです。

「うちの価値がわからないお客様は必要ない」
「他の店とうちは違う」
「あの店が安いからいけないのだ」
そう思えば良いだけのことです。
そうすれば、お客様が傷つくだけで済みます。
きっと、二度とおいでになる事はないので何も心配は要りません。
そして、
そう遠くない未来に、
明日を心配する必要もなくなります。

「だけ」で済ませるならば当たり前の結末です。

aimableやaimable aimeが 横浜 の地で、
しかも、美容室が乱立する 元町 で続けていくために、
 「だけ」 を重視していることこそが安さの秘訣です。

aimable創業から1年間はご新規のお客様は、
全て1週間後以降にご予約をお願いしていました。
どんなに暇でも続けました。

なぜなら、開業するまでの思いや力を与えてくださったのは、
それまでの自分を評価して下さったお客様です。
いつおいでになるかわからない
それまでのお客様のために席を空けておくことは、
僕にとっては0円ではなかったからです。
だから、創業以来売り上げが0円という日は一日もありません。

そこへ一人、1匹と仲間が増え 1階 のお店 aime を作るに至りました。
お客様への恩返しが軌道に乗ったら、
次は自分に仕事や心意気を教えてくださった方々への恩返しです。
僕が始めた20年近く前は、まだまだ見て覚える・盗むのが当たり前の時代。
その中でも、
今では当たり前のマニュアル作りを新たな試みに掲げている先生達に
囲まれて仕事が出来ていた僕は、今思えばとても恵まれていました。
父を始め先生たちは、
自分達が経験した無駄を省いたエッセンスを注ぎ込んでくださいました。
だから、今度は僕がそこから更に無駄を省いて誰かを育てなければいけません。

1階はそのための場所です。

巷の美容院で今でも新卒者を教えていく過程は、
マニュアルが存在する以外は20年前と何も変わりません。
上手くなると言われるレベルに達するまでに
担当されたお客様が傷つく「だけ」のシステムです。
仮にも、痛くないだけで身体の一部を扱う仕事であるのに、
そのための練習が人形や無償のモデルさんだけで、
ある程度の無難なスタイルを切らせ、
いわば身内といえる店内や社内の人間がチェックをし、
合格すればスタイリストとして入客。

お医者様ならひどい話です。
「盲腸しか切ったこと無いけど、明日の癌の手術は大丈夫です。」
そんなレベルです。
研修医でさえ昨今では指導医の管理下で担当患者さんを持つほどなのに、
美容界は恐ろしいです。
痛くないだけで簡単に考えすぎと思うのは僕だけですかね。

aimeのスタイリストは他店やチェーン店で一般的な金額で、
切ることを許される立場にいたにも拘らず、
当店で美容学生が始めるレベルの練習からやり直し、
腕を磨いている美容師で構成されています。
基本の15に及ぶステップを経て基本のカットテクニックの勉強に入った段階から
ベテランのスタイリストの監督下でお客様に触れます。
仕上げ前には必ずチェックが入り、切り直される事も珍しくありません。
ここで間違って理解されたくないのですが、
下手だから切りなおすわけではありません。
3150円の価値はあるカットです。

しかし、創業元の 3階 aimable の6300円の金額を頂戴できるほどではありません。
切れれば良いというものではありません。
6300円の中には、接客・接遇、毛髪の見極めの知識、
毛髪や薬剤の知識、アフターケアへの責任が含まれます。
これらはお客様の有する当然の権利です。
それを、人形や無償のモデルさんからどうやって学べますか?
金額に関わらず対価を頂戴する責任下で働く事によってのみ、
身に着くものだと確信しています。
金額に関わらず、対価を頂戴する以上は、
お客様と美容師という関係は変わりません。
安いから期待度が低い、下手でも文句は言えないなんてことは、
あってはいけないのです。
勝手に「神」になってはいけないのです。
だから、6300円で支持を頂いている美容師が現場で仕事を教え、
お客様に安心してお帰りいただく。
それこそが 1階の aime を作った意味であり。
安さの秘訣です。

はっきり言って、儲けなんか出ません。

それでも続ける理由は、
美容業界全体が廃れることを恐れているからです。

では、なぜ 高単価 美容室 が主流の 元町 に、
しかも、目立つところに手頃な価格のサロンを出店して価格破壊を挑んだのか。

答えは簡単です。
そんなつもりは毛頭無いからです。

美容業界、街や地域の衰退は己の死を意味するからです。

それを食い止めるためになら、
自分の腹を切ってまで賭ける価値をそこに見出したからに他なりません。

仕入れの交渉に全力を注ぎ、
足りない分はメーカーさんや問屋さんにただ働きをし、
ギリギリまで無駄を削り、
それでも見たいと思う程の、
お客様やスタッフの笑顔がそこにあり。
お世話になった方々や出来事への無くしたくない思いが消えず。
業界や地域の衰退を食い止めようとしてくれる同志の声を待っているだけですが。

なにか?

0 件のコメント: