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2011年11月11日金曜日

いたよ。

久々な更新でごめんなさい。

しばらくPCを見たくなくて、
遠ざかっておりました。

それと、
ここ一ヶ月に目標にしてたこと

髪を切る。と言う事を見直す。

作業に没頭しておりました。
何とも言えず、楽しくて楽しくて・・・。
これは煮詰まって溢れるまで放って置いた方が
面白そうな所まできたので、
何はともあれグツグツしてみようかと思っていたら。
更新を忘れていました。

この一ヶ月は髪を切りながら、
自分の周りを取り巻いてきた範囲でわかる、
美容界の歴史を思い巡らしていました。

僕が17年と言う短い美容師歴の中で
師匠として付いてくださった方々が手を焼いていたのが、
今となっては、
ごく当たり前になったカット技術のマニュアル化。

その方たちが一人前になるのを目指していた頃の
日本の美容師が育つための術は
「見る事」
そして、「こんな感じ」が常套句の口頭伝承。

徒弟制度なくしては覚えようが無い職人の世界だったそうです。
もしかすると、
その頃のほかの業界の職人さんたちもそうだったのかもしれませんね。
未だに、そのままの業界も存在することでしょう。

話は戻り、
昭和初期の美容界はまだ「髪結い」という響きが似合う業界で、
どちらかと言えばあまり万人に受け入れられたり、
憧れられるような綺麗な仕事では無かったようです。

その頃に美容師をしていたのが、
美容師になるきっかけを与えてくれた父の亡き後に、
僕を引き取って修行させてくださった「大島満治」先生。
日本における男性美容師の先駆けで、
現在のフランチャイズやチェーン店のベースに
なるようなシステムを作り各地で技術講習や講師制度を作った方です。

また、各地に働く美容師の誰もが理解できる様に、
数百枚にわたる写真を掲載したマニュアル本を作った先駆者です。
これも今では当たり前ですね。

しかし、その頃には
技術は修行を耐えて勝ち取るもの。
のような風潮が多く。
門外不出のものをマニュアル化することへの批判が多かったそうです。

そんな歴史や武勇伝の中に散らばる美容師として目指すべき、
信念や生き方のヒントやエッセンスが、
今の僕を形作るベースになっていることは言うまでもありません。
当時、言われていたことは全く理解できない事ばかりでしたが、
いま、自分が偉そうにサロンを構え、
お客様の前に鋏を持って立ち、
スタッフを教えるようになった今だからこそ解る事は多いです。

父はそんな先生の下でセコンドとして国内外について回り、
修行していた人間でした。

なので、
仕事における心得を、二人の師匠から
10年の間に二度も聞けていたことになります。

呪文のように残る言葉や表現は、
今では姿を変え、立派なDNAとして揺ぎ無い存在となっています。

そうして意味もわからず門前の小僧をしている間に身に付いたことや、
出会った方達の中に3人目の師匠が居ます。

彼の名は「益山義永」パリのサンジェルマン界隈で、
Yoshiという美容師を尋ねれば誰もが知っている人間です。
彼は30年近くサンジェルマンの「シゾー通り」(直訳すると「鋏通り」)
に店を構えて働いているパリにおける日本人美容師の生き字引的存在です。
彼は日本人美容師で初めて、パリの人気美容学校の校長もしていました。

その彼との出会いのきっかけになったのは、
大島先生の元を独立した後に
パリと日本を行き来して仕事をしていた時代の父です。

Yoshiと初めて会った時の僕は低学年の小学生。
美容師は世界中で働ける仕事であると印象付けた美容師のうちのひとりです。

その後、何度パリに行っても快く技術や心構えを伝承してくれる師匠です。
去年の様子はこちらから数回分のブログに掲載

一人目の師匠は他界。
二人目の師匠は僕を最後の弟子にして引退。
三人目の師匠はパリ。

さて、
そこで問題が起きました。

カットに没頭しながら、
ふと思うわけです。

己が充電する場所が限られているぞ・・・。


気付き、何とも言えない不安や虚無感に襲われるわけです。

常に新しいこと、お客様に喜んでいただける何か
を探す為にinputは欠かせません。

どこの美容院もやっていないことこそが経営理念のaimableとしては
欠かせない要素なのです。

であるが故。
であるがこそ。
師と仰げる存在が大切です。

しかし、
僭越ながら思うわけです。
今の美容界を見渡しても目新しいものは一つもなく。
一言で言えば「退屈」なのです。
なぜなら、
今の美容界の目にするもの全てが、
僕の短い歴史の中で出会った事のある、
顔も名前もどこの誰であるかが解る「誰か。」が作ったものだからです。

マニュアルやシステム、そして、
顧客や顧客満足を増加させる術。

その全ては僕が子供の頃から周りに溢れていたのです。

きっと、
それが今でも役立つのは、
それを作り出した方達が直接注ぎ込んでくれた、
情報や気持ちがあるからだと確信出来ます。

だからこそ思うのです。
教わった身の人間が、
教えてくださった方を超える方法は何か。という事を。

そして、
何かを見つけた人は、
それを教えたいのだ。という事を。


どんな歴史を見ても、
人は何かを極める作業の過程や最終段階において、
人に伝えると言う作業を天命と捉えて動く傾向にあるようです。

きっと、
何かを発見したり、創造した後に、
そのまま生を終えることに一抹のむなしさや、
何かしらの責任の不履行を感じるのではないかと思うのです。

きっと、
命の終わりを無意識のうちに理不尽だと思うほどに、
自分の中で完成されていく何かを感じるのではないかと思います。

自分の師匠達を見ながら、
そんなことを感じていました。
きっと、
彼らも「何か」に突き動かされて、
僕に様々な情報を語ってくれていたのだと思います。

そして、
師匠以外の方たちも同じように「何か」の
お陰で僕に色々なことを教えてくれていたように思います。

その皆さんに共通するスタイルは

「寛大さ」

でした。
彼らはネタばらしを恐れません。
勿体振ることなく伝えたり語ったりします。

半端な人や半端な情報を持つ人ほど勿体振ります。
そして、曖昧な言い回しを好みます。

残念ながら、
僕は子供なので愛想笑いしか出来ません。
元来、極度の人見知りなので愛想笑いは最強の武器です。

毒吐きました。
ごめんなさい。



さて、話を戻します。



では、

今の自分は何をすべきか。


髪を切り続けながら見出しました。

何かを作り出して伝えたがっている人。
なおかつ、
教えてもらいたいと思える「何か」を持っている存在。
を探さなければいけない。
と気付いたのです。

ひとはそれをメンターなどと呼ぶ場合もあるそうです。

検索基準を定めることから始めました。

・美容師
→言うまでもありませんね。

・自分より出来るだけ年上である。
→言い方が悪いですが、
 亡くなってしまうまでに会いたい順だからです。

・現役でサロンに立っている。
→申し訳無いのですが、
 オーナー職に興味は無いからです。

・新規のお客様を断らず担当している。
→向上心を絶やさない美容師である証拠だからです。

・常に有名であること。
→時代に早すぎても遅すぎてもいない、
 普遍的なものを表現し続けている証拠だからです。


そして、
奇跡的にいらっしゃいました。

peek-a-booの
川島文夫先生

以前から師匠達を含む諸先輩方から会いに行くように、
仕事を見せていただく為に足を運ぶように言われていましたが、
いかんせん、
人見知りなもので・・・。
しかも、極度の。


さて、
今更どうやって参上するか。

講習を申し込んで、
「実は・・・。」とモジモジするか。

ヘアショーのチケットを買って
「感動しました!」とか言って花束渡しますか。

どちらも気持ち悪いので却下。

しかも、
万が一にも共通の知り合いからリークするようなことがあったら、
それこそ最悪な話しになってしまいます。


閃きは訪れました。

自分の奥さんを使うのです。
彼女の髪質は
今まで切ってきた中で1,2を争う難しさ。
しかも、
技術の差が現れるベリーショート。

拷問の如く切らずに伸ばさせること数週間。
あえての、
すきばさみによる量感調整。
〔個人的には大嫌いな量感調整方法〕
そんな状態の髪をどのように仕上げて頂けるのかを
素人の振りして遠目に見学することにしました。


そして、
本人によって予約して頂きました。

3ヶ月位埋まっていることは覚悟していましたが、
運良く1月後の隙間に予約を獲得。

先日、
東京生れ東京育ち東京嫌いのクセに
青山へ行ってきました。

サロンへ入りカルテを書き待つこと10分。

先生の登場。

特に何もオーダーすることなく、
「お任せします。」
と一言。

先生のカウンセリングはとてもシンプル且つ丁寧。
髪質をパートごとに見ながら生え癖もチェックして一言。
「僕に任せて。」

それはそれは格好の良い姿。
60歳超える人の出せるさわやかさでは無かったです。

そして、奥さんはシャンプーへ。

何かを察したレセプショニストは、
僕をサロン作業スペース内のウェイティングへ案内してくれました。
一瞬バレたかとヒヤヒヤしましたが、
取り越し苦労でした。
案内された場所からは先生のセット面が見渡せる特等席でした。
多分、
混雑時にパーマやカラーの放置時間に使われる場所だと思います。

そこで、
暖かい緑茶をすすりながら、
本を読んでる振りをしながら大きい目とでっかく前を向いた耳は、
先生の仕事されている手元へ。
とてもシンプルなスライスとセクション分け。
しかし、
髪をシェープし毛束を引き出す角度は感動するほど正確でした。

手が空けばサロン内を歩き、
他の担当者のお客様をさりげなくも必ずチェック、
自分の店であるという意識の高さに、
期待通りで嬉しくなりました。

先生のお店の流儀なのか、
手が空いているスタッフは必ず先生の周りに立ち見学していました。
しかも、
余すところ無く細かい説明をしながらも
ユーモアたっぷりに教えている姿は、
父を初めとする師匠を思い出させるものでした。
そして、
個々で働くスタッフのみんなは幸せだな。
と感じると同時に、
aimableの皆はどう思って働いてくれているのか気になりました。

そうこうしているうちにセット面へ案内される奥さん。

より集中して遠目に見学します。

そこへ、
いきなり声がかかります。

「藤倉さん、先生がお呼びです。」


時が止まります。
嬉しいけど。
人見知りとしては、
内心
「ぎゃぁ~~~っ!!!!」
です。

先生は目が合うなり開口一番
「せっかく来たんだから、見て帰らなきゃ勿体無いよ。」

と仰って間髪入れずに
髪質・生え癖・対処法を説明しながらテンポよく切っていかれます。

その全ては、
期待したとおりの理に適ったものでした。
解りやすく丁寧にカットの角度の意味や、
立ち位置に至るまで教えてくださいました。

それもそのはず。
川島先生は僕の師匠たちと同じように、
日本へ現在のカットの主軸になる技術を持ち込むきっかけを作ってきた人です。
父がその川島先生の母校に当たる美容学校を僕に勧めた理由もそこにあります。

その寛大に教えてくださる様は、
自分の師匠が見学を勧めてくださった
理由を理解するのを確信に変えるものでした。

そして、
程なくしてカットは終わり仕上げを見せながら、
更に細かく教えてくださいました。

出来上がったスタイルのフォルムや髪の毛のカットライン同士の繋がりは
とても美しく、
キャリアが違うから当たり前な結果なのですが、
同じ美容師として悔しさを覚えるほどでした。

きっと、
お店の皆さんには邪魔になるくらい特等席で拝見できました。
我に返って誤りながら感謝をするようでした。

フロアで挨拶をして、
お会計を済ませて帰ろうとした時に、
わざわざ出口まで来て話をしながら名刺を下さり、
励ましのお言葉まで頂戴しました。

そこにも、
僕が慣れ親しんだ美容師としての心得を感じて、
とても嬉しくなったことは言うまでもありません。

きっと、
この人も色々なことを発見して、
伝えたくて仕方が無いんだろうな。
と感じました。

後日、
感謝の手紙を送らせて頂きました。

そうしたら、
朝一番に川島先生ご本人からお店に電話がありました。
頭の先からかかとまで定規が入ったように直立なくせに、
手が震えるほど緊張していたのはブログを見た人だけの秘密です。

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